波崎の碇石と船頭の宮

篠塚伊賀守の碇石

北関東自動車道が栃木都賀JCTから友部JCTまで接続されたのを機に、念願であった波崎(はさき)(茨城県神栖市波崎)にある篠塚伊賀守碇石(いかりいし)を2009年1月18日に取材した。50年ぶりの再訪である。当時は、碇石の周りにカニが戯れ、10cmほどの不発弾が散乱していた記憶がある。

碇石は1345年ころ伊賀守が瀬戸内海の沖ノ島(魚島)から、はるばる舟で波崎に上陸したのを記念して、その舟の碇をこの地に残したものと言われている。664年前のままに半分が地中にあり、地上部には140cmほどが少々斜めに突き出ている。中央部と思われる箇所には、綱を縛ったであろう溝が彫られている。
傍には、石造りの祠があり、散乱する10cmほどの小石には貝が開けた穴が見られる。当時は海辺であった証拠である。

現在は利根川から300mほどの距離がある。しかし、神栖市歴史民族資料館の職員によると、当時、この付近は、津になっていて、太平洋からの入り江だったそうで、海岸からほど近かったそうである。また、利根川は東京湾に流れていたが、徳川家康の号令で人為的に流れを銚子方面へ切り替えたのである。

※ 碇石の所在地を記すことはできません。(いたずら防止と管理者の意向のため)


約半分が地上に突き出た碇石

綱を縛ったであろう溝

 

船頭の宮

碇石からほど近くに篠塚氏宅がある。その敷地内に船頭の宮(せんどうのみや)が祀られている。詳細は、その右側にある由来碑(茨城大学の先生による調査と文章)をご覧頂きたい。

ここで、隠岐島とあるのは現在の愛媛県越智郡上島町魚島であり、当時は、沖ノ島とも呼ばれ、読みが同じ隠岐島とも書かれたと思われる。本郷とあるのは、この地の小字名である。伊賀守は故郷の篠塚に近づいたが、逆に、船頭たちの望郷の念が忍ばれる。


船頭の宮

その右側にある由来碑

 

神栖市歴史民族資料館

波崎町は、2005年に神栖町と合併し、神栖市(かみすし)となった。 そこの神栖市歴史民族資料館には2009年2月から展示替えによって、碇石の写真や篠塚伊賀守関連資料が展示されている。

開館時間:午前9時~午後4時30分
休館日:毎週月曜日,国民の祝日(祝日が月曜日に当たるときはその翌日も)12月28日~翌年1月4日
入館料:無料
所在地:茨城県神栖市大野原4丁目8-5  TEL 0299-90-1234