沿革

宝亀年中(770~781)

寺伝によると宝亀年中(770~781)日光の輪王寺を開いた勝道上人が光善寺林(当寺から東南700m)に草庵を結んで修業し、光善精舎と号してこの地方の仏教教化につとめたという。

弘仁2年(811)3月

弘仁2年(811)3月、弘法大師が勝道上人の足跡をたずね、光善精舎に参籠して霊夢と感じ、自ら薬師如来像を彫って曲松(当寺から南南東600m)の地に薬師堂を建立して厄除けを祈願したといわれる。

暦応年中(1338~1342)

篠塚伊賀守重廣菩提のため大信寺としたという。

天正18年(1590)

小泉城落城の狼煙として灰燼に帰し、曲松の東方に寺林の地名だけが残ったという。

慶長19年(1614)

白譽萬覚上人の開基で浄土宗に改宗し、寛永年中、太田大光院の末寺となり寺運の隆盛をみた。

正徳元年(1711)頃

庄司小林若狭守利尚は日光修理の際、赤岩の渡船場より日光に運ぶ資材等の郷役のお礼に荒廃した大信寺を間巾七尺五寸、総欅にて十間角の本堂及び庫裡四間角を寄進し、更に上地中(現在の上寺中)に愛宕神社を建立し寄進した。

明治21年(1888)頃

本堂荒廃し解体。現在の庫裏を仮本堂とした。昭和10年(1935)代に本堂再建積立金として四千円があったが、戦後の昭和22年(1947)、庫裏の屋根四坪の葺き替えで消費してしまった。

昭和62年(1987)

檀信徒の浄財によって現在の本堂が再建された。翌年、盛大に落慶法要が営まれ、本堂にて群馬交響楽団員による弦楽四重奏「モーツァルトの夕べ」、ダンスパーティー、カラオケ大会が開催され、TBSテレビ「テレポート6」に「びっくり寺」として生中継された。